現代人が異世界に転生した場合、果たして人を殺すことができるだろうか!?
さて、このタイトルを見て不快に思われた方がいたら、申し訳ありません。
なろう小説家としてラノベデビューを目指していながら、このオッサンは何を言ってるんだとお思いでしょう。
別に私はなろう作品を全否定しているわけではありません。
アラフォーを迎えるオッサンですが、なろう小説は大好きで、様々な作者様の作品を読ませていただいています。
『やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中』・『田中家、転生する』は数あるなろう小説の中で、特に魅力的だと感じています。
『やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中』はアニメ化が決定したので、放映されるのが今から楽しみです。
できれば、『田中家、転生する』もアニメ化してくれるといいのですが。
話がかなりそれてしまいましたね。
さて、なろう小説のファンである私ですが、どうしてもなろう小説の作品にはいくつかの不満点があるのです。
とくに、現代の人間が異世界に転生する作品には、個人的に低評価につながる不満な点が多々あります。
その中でも、個人的にどうしても納得のできな部分について語っていこうと思います。
現代人が異世界に転生したら、人を殺すことができるのだろうか?
さて、昨今では人のモラル意識の低下が危惧しているような話を聞きます。
私はいつもそれらの情報を耳にするたびに、首を傾げたくなるんですよね。
なんで、年単位で犯罪率は下がっているのに、現代の人間はモラル意識が低いなどと考えてしまうのかと。
私がこのような考え方をする元となった本を紹介させて頂きます。
著者スティーブン・ビンカーによれば、時代が進めば進むほど、世代が新しければ新しいほどモラル意識は強まっていく(代わりにマナー意識が弱まっていく)と、数々のエビテンス示しながら述べています。
私自身も会社や周囲で見かける若い人を見る度に、そのモラル意識の高さを感じさせられます。
つまり、主人公が転生する前の主人公の生まれた年が新しく、かつ年齢が若いほどモラル意識が強い。
そこで私が何を考えているのかというと、彼らは異世界で人を殺すことはできないのではないのか、ということです。
そもそも、Z世代と呼ばれる若い人達の中で、本気の殴り合いを経験したことがある人の割合は少ないはずです。
それこそ、そういった場面(クラスメイトが殴る蹴るの暴力行為を行っている様子)を直接目にした人だって少ないはずだと、私は思っているんですよ。
すくなくとも、チーマーとかカラーギャングなどが流行っていたIWGP世代の私よりは確実に、Z世代の若い人達の方がモラル意識は高いはずです。
そして、なろう小説の主人公の多くが、設定上ではそういった世代の年齢のはずなんですよね。
異世界転生物の作品の主人公は、人間を殺せるのだろうか?
さて、ここで最近まで実際に放映していたアニメ作品の主人公を提示しながら、個人的な考えを述べていこうと思います。
例にあげる主人公はこの二人です。
転生したらスライムだった件の主人公・リムル。
月が導く異世界道中の主人公・深澄真。
この二人の主人公は異世界へ転生した現代人であり、二人とも殺人の経験がある主人公です。
転スラのリムルは、死んでスライムに生まれ変わった転生者ですが、月が導く異世界道中の深澄真は、異世界に送り込まれた転移者となっています。
二人の立場と境遇は違いますが、この二人を例にして私がなろう小説に抱く一つの不満点を述べていこうとおもいます。
二人の主人公の相違点
二人の主人公の相違点は、スライムに転生したか、生きたまま召喚されたのか、という点ではありません。
この記事では、あくまでも世代ごとの価値観の違いをあげたいのです。
転スラのリムルは、転生前は三上悟という名の中年サラリーマンでした。
年齢は37歳です。
転スラがなろう小説に投稿されたのが、2013年ですので、当時の私の年齢と比べると三上悟の方が10歳近くは年上ですね。
異世界道中の主人公、深澄真はリムルとは異なる、生きたまま異世界に召喚された転移者です。
異世界に転移する前は、高校二年生の17歳です。
2012年になろう小説に投稿されていますので、当時での私との年齢の差は10歳以上になります。
この二人の年齢により世代の差で何が解るのかというと、それは二人のモラル意識の差です。
時代が進むほど、世代が新しいほど、モラル意識は高い!
深澄真と比べた時の、リムル(三上悟)の欠点!
スティーブ・ビンカーの説を信じるのなら、二人とも同じ高度に科学が発達した社会で生まれ育った現代人ですが、世代によるモラル意識の大きな差が生じています。
つまり、何が言いたいのかというとですね、深澄真よりもリムルの方がモラル意識が低い、はずだと私は言いたいのです。
リムル(三上悟)が、小説が投稿された年(2013年)に37歳だとすると、生まれたのは1976年だったと考えられます。
そこから、彼がもっとも多感で精神的に不安定だった時期である反抗期の頃(中学生~高校生)は、おそらく1990年~1996年頃だと推測できます。
つまり、IWGP直撃世代だということです。
その世代の特徴といえば、チーマーやそれに対抗する馬鹿たちが好き勝手に暴れまわっていた世代だったと個人的には認識しています。
チーマーを知らない人は、以下に参考となる動画があったので張り付けておきます。
私は転生前のリムル(三上悟)が暴力を平然と行える反社会的な人間だったと言いたいわけではありません。
リムル(三上悟)は、社会人として長く蓄積された精神力の高さと、法令を遵守するという意識は固いものだと思います。
ですが、古い世代の人間は往々にして、たとえ陰キャのオタクでも根幹となるモラル意識においては、新しい世代(Z世代)に比べると低いと私は考えているのです。
何故なら、今のZ世代や令和世代の人達に比べると、日常に潜む暴力がより身近に存在していたからです。
私は多感な学生時代の頃、本気の殴り合いを何度も見てますし。私自身もそういった行為を及んだ時がありました。
平和主義で喧嘩を一度もしたことがないと言い張るオタク仲間の友人でさえも、こんなとんでもないことを言います。
『大人の言うことを聞かない子供は、殴ってでもルールを教えてやる必要がある』
はい、友人は体罰信奉者です。
私も一時期(30手前ぐらいまでかな)までは、それが正しい考え方だと思っていました。
平和主義者だと名乗る人物が、マジでこれを言い張りますからね。
ちなみに、侮辱に対抗するための暴力も、友人は正しいと言い張るので正直『この手の話は、コイツとはできないな』と最近は思っています。
まぁ、だからこそ、こうして誰にも言えない考えをブログで述べているんですけどね。
古い世代のモラル意識の低さが解って貰えたでしょうか?
個人的に若い人達に聞きたいです。
ガチの喧嘩を見たり、やったりしたことはありますか?、と。
リムル(三上悟)と比べた時の、深澄真の利点
もう、結論から言いますね。
それはモラル意識の高さです。
深澄真は17歳(2012年にて小説が投稿)と考えた場合、彼の生まれた時は1995年と考えられます。
つまり、深澄真はいわゆるZ世代ということになると思います。
この世代の特徴は、インターネットと共に育ち、スマートフォンやソーシャルメディアに慣れ親しんでいるということですね。
環境意識が高い上に、多様性や包摂性を重要視し、異なる背景や意見を尊重することが当たり前だった世代です。
社会モラルに対する意識は、確実にミレニアル世代の初期である自分よりも上だと確実に言えます。
世代間による価値観の違う二人の主人公が殺人を犯した瞬間
科学が発達した高度な文明社会で生まれ育った二人の主人公ですが、異世界へ転生(転移)後に殺人を犯しています。
それは、あまりにも衝動的であり同情できるものではありました。
ですが、私はその殺人の至る経緯と描写に酷く不満を抱いているのです。
リムル(三上悟)のケース
彼が殺人を犯す原因は、彼が家族同然に愛する仲間達が人間の手で殺されたことが起因となっている。
しかも、最も親しい間柄の側近を、自分と同じ現代からの転移者の手で殺されているのです。
その時の、リムルの怒りと悲しみは筆舌にしがたいものであったに違いありません。
リムルは元は人間の転生者だったこともあり、人間種に対する友好関係を築こうとしていました。
そんなリムルの好意を、人間達は足で踏みにじったのです。
リムルは結果、アニメ34話 【神之怒】にて一万人以上の人間を大量虐殺します。
転移者達に対しては、仲間達によって凄惨な死が与えられています。
私は単に、どんな理由があっても他人の命を奪うことが悪、などと言ってリムルの行動を批難しているわけではありません。
私が問いたいのは、現代人がどのような状況に追い込まれても、殺人行為に及ぶのは難しいのではないのか、ということです。
次では異世界道中の深澄真のケースを見て行こうと思います。
深澄真のケース
彼が殺人行為に及ぶのは、アニメ十一話『さようなら』にて一人の女性を殺害しています。
理由もリムルと同じものです。
人間と友好関係を築こうとした矢先に、助けたはずの人間の利己的な行動によって彼の仲間が殺されたからです。
深澄真もまた、リムルと同様に激しい憎悪と憤怒の感情から、抑制できない衝動に流されるままにいとも容易く殺人という人間が最も犯してはならない最大の禁忌を犯しました。
なろう小説の主人公は、簡単に殺人行為に及んでいるのが不満
ここが、私の最大の不満点なのです。
私は殺人に対してこのように考えています。
殺人は完全なる悪であり、決して正当化される理由など一つもないということです。
ですが、間違ってほしくないのですが、私は殺人を犯した二人の主人公を批難する気は全くないという点を知っておいて欲しいです。
私は殺人を完全悪と決めていますが、殺人を必要悪だと認めている、言ってしまえばモラルの欠如した人間です。
私も言ってしまえば、理由があれば殺人を正当化しても良いと、心のどこかで思ってしまう不完全な大人なのです。
そうなると、何故、殺人を犯した二人の主人公の何が気に食わないのか、とお思いになるでしょう。
リムルも深澄真も、殺人に対する罪悪感が薄すぎる
ここで一冊の本を紹介させていただきます。
この本の主人公も、利己的な考えを元に殺人を犯します。
ですが、殺人に及ぶ際の行動の中には、無意識下ではありましたがそれを躊躇する行動が見られますし、何よりもその後の殺人に対する罪悪感で苦しむ描写は凄まじいものがあります。
それに対して、この二人の主人公はあまりにもあっさりとしすぎているのです。
リムルは、仲間を生き返らせられる為に、一万人以上の人間を虐殺します。
その行動はあまりに利己的ですが、あえてここでは触れないこととします。
もし生き返られる方法がなかった場合は、リムルは復讐の為に人間を殺したのだろうか、と考えなくもありませんがね。
まぁ、かなり話が脱線してしまうので、また別の機会で述べていこうと思います。
そもそも、リムルは仲間が殺されても、ある程度その行動と言動は沈着冷静でした。
元は37歳という精神性の高さから、自分の衝動を抑えることができたのかもしれません。
それに、リムルなりに人間を殺すことに悩んでいる描写のようなものもあります。
ですが、それはあまりにも薄すぎる!
さて、深澄真の場合ですが、彼は激しい憎悪と憤怒の濁流にのみ込まれ、簡単に復讐を遂げます。
しかも、いとも簡単にです。
人間は生来的に善良であり、同種である人間を殺そうとすると、それを躊躇する遺伝子(プログラム)のようなものがあるといいます。
この本を読めば、そのあたりのことを詳しく知ることができます。
ですが、この深澄真はその抵抗力、おそらくは罪悪感と思われる物を『この程度か』と言ってすませてしまっています。
まるで人間の理性がベニヤ板であるかのような描写です。
彼はその後に涙を流し落胆としますが、それは殺人に対する罪悪感ではありません。
それは現代人誰もが親から付与されている『呪い=教え』からでした。
この辺りの描写ですが、見る人によっては罪悪感からの涙と見るでしょう。
ですが、私は殺人による罪悪感からではなく、親から付与された呪いという社会常識を破ったことによる罪悪感からの涙と捉えています。
つまり、何を言いたいのかというとですね。
深澄真は、殺した女性キャラに対して微塵も罪悪感を抱いていないということです。
その後、深澄真は何かが吹っ切れたかのように、人間に対して暴力行為を振るうことに躊躇がなくなっていきます。
といっても、状況は正当防衛にして、相手が悪人だという理由がありますが。
とはいえ、平然と殺人が行えるというのは、いくら何でもモラルが低すぎると感じてしまいます。
いちおう、深澄真はZ世代というモラルの高い人間のはずなのに。
サイコパス……という可能性はありますが、それだとあまりにも短絡的な答えなので、ここではあえてしないこととします。
なので、実はこの『月が導く異世界道中』ですが、最初は面白く見ていたのですが、二期の後半からはちょっと見てられなくなってしまったんですよね。
実際に、現代人は復讐の為に殺人を犯せるのか!?
私は幼い頃、もし両親が殺されたら、自分は両親の仇を討つために相手を殺すことができるのか?と考えたことがあります。
これまで様々な事件をニュースで見てきましたが、復讐の為に殺人を犯したという事件をほとんど聞いたことがありません。
調べれば、何件も出るでしょう。
ですが、それは全体の内の何パーセントですか?
私は激しい感情と強い衝動があれば、人は人を殺せると考えていましたが、同時に一つの疑問もありました。
ルドガー・ブレグマンの本を読んで、その疑問が今は強まっています。
それは、自分の家族を殺した相手を殺すことが自分はできないのでは?という疑問です。
ルドガー氏の本には、戦場では多くの兵士が相手を殺すことを躊躇ったという事実をエビテンスを交えて記述しています。
生き物の命を直接奪ったことのない現代人が、復讐の為とはいえ果たして人間を殺すことができるのでしょうか。
二人の主人公はあまりにも簡単にそれを行っているのです。
深澄真に至っては、家畜すらも殺していないのに、いきなり人間を殺めています。
どうにも、そこが個人的に引っかかってしょうがないのです。
深澄真に関しては、それ以降では、自分が興味を持たない相手が死ぬことも殺すことに対しても何一つ思う所がない描写が目立ちます。
いや、こいつの倫理観どうなってんだ?
状況と理性がある状態の時は、深澄真は普通の常識人な思想を持っています。
ですが、状況によっては簡単に人を殺してしまいます。
まるで背中にサイコモードと平常モードのスイッチでもあるかのようです。
この辺りが、深澄真がサイコパスだと思えない部分なんですよね。
サイコパスは、徹頭徹尾その思想は狂っているので。
異世界転生(転移)の主人公は、全員がサイコパス?
本来サイコパスというのは、脳に変異した部分が見られる精神病質者とされています。
逆に、幼少期の環境によって精神的に歪めさせられた社会病質者『ソシオパス』とされています。
サイコパスは先天的なもので、ソシオパスを後天的なものとして定義されています。
さて、リムルと深澄真はそのどちらかに属しているのでしょうか?
私は二人ともサイコでもソシオでもないと思います。
深澄真はすこしだけサイコ度が高そうにみえますがね。
まるで、サイコと普通のスイッチがあるかのように、状況によって倫理観が変化しているからですが。
とはいっても、二人とも精神病質者にも社会病質者にも見えないんですよね。
また、そういった描写もないですし。
それが個人的にどうにも、なろう小説の主人公を好きになれない部分なのかもしれません。
最後に
さて、長々と『現代人が異世界に転生した場合、果たして人を殺すことができるだろうか!?』という独自の考察を述べてきました。
ここまで読んでくれた人には、こんな長文にお付き合いくださって本当にありがとうございます。
また、私の考え方に不快な思いを抱いた方には、深く陳謝いたします。
私は私のこの考えを沢山の人に知って貰い、意見交換をしたくてブログ記事に乗せて配信しました。
ですので、多種多様な意見をSNSでもコメントでも良いので、頂けると幸いでございます。
様々な人の多様な価値観を受けることで、私自身の作品作りに生かしたいと思っています。
なので、反論でも批評でも構いません。
例として提示した二作品に対する私の理解度が低い場合も、その点を挙げて反論して頂けるとなお感謝です。
また、なろう作品にだってこんな作品があるぞ、と私の考えを覆すような作品がありましたら教えていただけると感激です。
いろんな人の意見を待っています。
特に若い人の意見を聞いてみたいです。
新しい世代の人達が、この二人の主人公の行動をどう感じているのか知りたいです。
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