U-NEXTでしか見れない映画『ホモサピエンスの涙』

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引用先映画「ホモ・サピエンスの涙」オフィシャルサイトよりhttps://www.bitters.co.jp/homosapi

1シーン、1シーンが美術作品を思わせるような映像に魅せられる映画『ホモ・サピエンスの涙』を紹介していこうと思います。

こちらの映画ですが、数ある動画サイトの中でU-NEXTでなら見放題ですので、興味があれば見てください。

と、オススメしてみたものの、この映画は普段こういったエンタメ性の低い(刺激の少ない)映画を見慣れていない人には、全くオススメできない映画なんですよね。

ですが、映画の正しい見方なんてものもありません。

とはいえ、明確なストーリーがあるわけでもないこの映画を最後まで見ようと思うと、ただの苦痛になってしまいます。

なので、私がこの映画をどのような視点で見て、各シーンで何を考えながら見ているのか述べることで、この映画を見る際の参考にしていただければいいなと思って紹介させていただきます。

人生の一瞬を切り取ったヒューマンドラマ『ホモサピエンスの涙』

映画「ホモサピエンスの涙」公式サイト予告動画より

映画の監督はロイ・アンダーソン。

この監督はちょっと変わった方法で映画を作ることで有名です。

映画は全編通してワンシーンワンカットで撮影されており、まるで一枚一枚の絵画を見ているような映像作品になっています

まさしく映画のポスターに書いてある通り、万華鏡のような映像詩のような映画です。

ワンシーンワンカットの短い映像群には、共通する一つのテーマがあります。

見る人によって感じ方や考え方は違うでしょうが、おそらくは時に悲しく、時に愛しい、人間の営みを描いているのではないかと、この映画が好きな私は思っています。

人間は本当は善良な生き物。だけど、時に利己的になってしまう悲しくも哀れな動物

引用先 映画『ホモ・サピエンスの涙』公式サイトよりhttps://www.bitters.co.jp/homosapi

この画像は私がこの映画で好きなシーンの一つです。

手前にいる白衣を着た男は、アルコール中毒で仕事がまともにできない歯医者。

この日も患者をほっぽって酒場で飲んだくれています。

その奥で歯医者に顔を向けている男性は、雪が舞い落ちる今この瞬間の素晴らしさに感動しています。

その感動を周囲の人達と分かち合いたいのに、誰も彼を相手にはしません。

他の客たちは、自分の世界と時間に浸っており、それ以外のことには無関心な為に、彼に冷たい態度を取ります。

誰にも相手にされない彼は、近くに立つこのアル中の歯医者に、「今、この瞬間は素晴らしいものだよな?」と尋ねます。

誰もが彼を無視する中、この歯医者だけが「そうだな」と答えたのです。

短くもそっけない返事ですが、その言葉には暖かさがあるように思います。

人間は徹底的にまでに社会的な動物、だからこそ他人との触れ合いを無意識にどこかで求めている

引用先 映画『ホモ・サピエンスの涙』公式サイトよりhttps://www.bitters.co.jp/homosapi/

どんな人間だって、誰かを愛すれば、誰かを憎むこともある。

怒りに任せて、他人を傷つけてしまうことだってある。

親しくなりたい人に冷たくされてしまう時もあるだろう。

だけど、それでも人生には愛があり、喜びがある。

時には悲しみや怒りを抱きながらも、それでも人々は互いに触れ合い、共感し、支え合って生きている。

33ものシーンから織り成す万華鏡のような映像詩からは、そんな人間愛に満ちたテーマを感じさせられます。

この映画のファンには著名人も多いけど、そういった人たちのレビューはあてにならない

この映画は見る人によって感じ方と考え方は異なってきます。

なので、公式サイトで見られる有名人達のレビューはあまりあてにならないと思います。

たとえば、タレントのふかわりょうさんもこの映画が好きなようですが、映画に対するレビューは解るような解らないようなといった内容になっています。

他にも様々な人がコメントを寄せてますが、その多くが1シーンの映像美を絶賛している内容が多く見受けられます。

いや、まぁ、確かにその映像美がこの映画の売りの一つだとは思うのですけども、それだけではやはりこの映画は所詮映画好きだけが見る映画になってしまいます。

もっとわかりやすく、普段こういった映画を見ない人にも見やすくなるように、私がこの映画をどのように見ているのかを語っていこうと思います。

個人的に好きなシーンを紹介することで、この映画をどういうふうに見るのかを解説

この映画の全てのシーンが、私達の日常に根差したどこにでもある場面が描かれています。

その1場面、1場面には他人だけでもなく自分でさえも理解できていない内面が描かれているように思えます。

久しぶりにあった旧友に挨拶したが、無視されてしまった男

一人の男性が、長い階段を上って現れます。

彼は突然、スクリーン越しに語りだし始めだします。

彼はこの場所で学生時代の友人とばったり出くわしたそうです。

名前はスヴァルケル、彼は久しぶりにある旧友との偶然の再開に喜んで声をかけた。

だが、相手のスヴァルケルは彼を無視して通り過ぎて行ってしまう。

その時になって彼はスヴァルケルに酷いことを言ったのかしたのか解らないが、関係が経ち切れてしまうようなことをしていたのを忘れていたのです。

彼は、スヴァルケルがそんな昔のことを、今も根に持っていることに釈然としない感情を抱いているようです。

そんな話をしていると、スヴァルケルが彼の背後から現れます。

彼はスヴァルケルに挨拶をするけど、やはり無視して通り過ぎてしまいます。

彼は遠ざかっていくスヴァルケルの背中を黙って見つめています。

その表情は、そんな態度を貫くスヴァルケルの強情さが信じられないといった様子です。

このシーンを皆さんはどう思いますか?

私はそもそもなぜ彼は自分の非を認めて、彼に声をかける最初の言葉を謝罪にしないのだろうと思った。

単純な事です。

彼はスヴァルケルを傷つけたと理解しながらも、それは悪意があってしたことではないと思っているから素直に謝ろうとしないです。

この男は映画の後半で再び登場しますが、今度はスヴァルケルに怒りと不満をあらわにしているのです。

怒りの正体はスヴァルケルに対する嫉妬です。

彼はスヴァルケルのことを『大した成績でもなかったのに博士号を取った』と言っている。

その言葉から、彼が何気なく言ったスヴァルケルを傷つけた言葉の正体が掴めたような気がします。

彼はスヴァルケルに対する劣等感から素直に謝罪することができないでいるのだ。

本当は仲直りして、学生時代の頃のように話をしたいのに。

私にも、今は縁が切れてしまった知人の中にそういった相手が数人います。

きっと私が素直になれば、長い時間というわだかまりは簡単に溶けてなくなってしまうことは解かっているのに、どうしても自分から話し合おうとすることができないのです。

私は彼を通じて、そんな自分の悲哀に満ちた愚かさが見えてくるのです。

信仰心を無くしてしまった神父

神を信じられなくなってしまった神父は、キリストの受難を受ける悪夢に毎晩悩まされています。

教会に訪れる迷える子羊に道を諭し示す神父ですが、彼を救う人は誰一人とていません。

精神科医に相談しますが、真剣に神父の悩みに耳を傾けてはいません。

洗礼の儀式の直前、神父は苦悩から逃れようと洗礼用のワインに口を付けます。

次第に精神が荒んでいく神父ですが、誰も救いの手を差し伸べません。

救いを求めて再び精神科医の元へ訪れますが、診療時間外だという理由で追い返されてしまいます。

人間は徹底的に社会的動物な為に、他人との触れ合い求めるように遺伝子にプログラムされています。

ですが、人間が持つ利己心という悪が他人に冷たい態度を取らせてしまうのかもしれません。

このシーンはそれを象徴しているように見えますね。

ドイツ第三帝国の野望が潰える瞬間

爆撃が轟く中、防空壕の中で恐怖を酒で薄めているナチス幹部達。

その背後から、ヒトラーが姿を現します。

幹部達は泥酔状態ながらも、どうにかしてヒトラーに忠誠を意味する敬礼をします。

ヒトラーはそれを黙って見つめると、爆撃によって揺らぐ天井を見つめた。

ヒトラーの邪悪さを知らない人はいないでしょう。

ですが、あえてこのシーンではこのような問い方とします。

だけど、ヒトラーにだって善なる心は持っていたはずです。

私はルソーが述べたように、人間は基本的には善良な生き物だと思っています。

現にヒトラーは愛妻家であり、愛犬家でした。

当時の英米の主要な政治家の誰よりも真面だったといえます。

ヒトラーのした歴史的大犯罪を許す、許さないの話ではありません。

どんな人間にも善行を行わせる心を持っていると言いたいのです。

現に、ヒトラーは泥酔する情けない幹部達に何も言いませんでした。

ただ恐怖に耐えるように、爆撃が轟く頭上を見上げているだけでした。

彼はこの瞬間何を考えていたのでしょう。

この時、私はアドルフ・アイヒマンが判決を受ける際に傍聴席にいたハンナ・アーレントの言葉を思い出してしまうのです。

彼女は何百万人ものユダヤ人虐殺に関わった男を、どこにでもいる普通の男のようだと言い、「陳腐な悪」という言葉でこの男を現した。

このシーンのヒトラーは歴史的大犯罪人というよりも、まさしく陳腐な悪そのものに見えてしまう。

小さな悪戯をしてしまい、その罪と罰に怯える子供と大して変わらないように見えてしまうのです。

大平原の真ん中で車が故障してしまった男性

最後に、映画の最後のシーンを紹介させていただきます。

曇天の空の下、平原の真ん中で車が動かなくなってしまった男性は、困った様子で車を降りるとボンネットを開けて修理を試みています。

ですが、荒涼とした平地の道には人の気配がありません。

男は何度も周囲を見渡します。

壊れた車はすでに男の手にはどうしようもない状態のようです。

ですが、他の車が通り気配はありません。

男性はそれでも救いを求めるようにして周囲を何度も見渡しています。

このシーンこそ、私達がいかに社会的動物なのかを現しているように感じます。

どれだけ現代が他人との接触が少なくなったからと言って、我々人類が他人との接触を断って生きていけるわけがないのです。

何故なら、私達の利己的な遺伝子が自分とは異なった遺伝子を持つ他人との接触を求めているのだから。

最後に

いかがでしょうか。

私なりに、どのように見れば『ホモ・サピエンスの涙』というこの映画を楽しめるのかを紹介してみました。

単に絵画を見つめるように映像を眺めるのも問題ありませんが、できることなら1シーンごとに登場する人々の心理描写を感じ取って貰えると、この映画の素晴らしさがより深く感じることができると思います。

この映画、U-NEXTで見放題ですので、興味があれば見てくれると嬉しいです。

映画好きしか見ない映画が、少しでも様々な人たちに見られるようになったらいいなと思ってこれからも様々な映画作品を紹介していこうと思います。

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